ごさよだよ
ここで思い出話をひとつ
私は幼稚園の頃、飲食店で店員さんに熱いお味噌汁をぶっかけられて足に火傷を負いました。その時、タイツをはいてたからえぐい話、タイツが皮膚とくっついて結構ひどいものだったらしい。なんかその時のタイツが白かったことだけ覚えてる(笑)で、一応治ったけど小学校2年くらいのときに火傷跡に水いぼが発生し、至る所に転移した。ここから私の地獄の日々が始まった。このいぼの治療が「焼く」というものだった。毎週、エレクトーンの帰りに皮膚科に寄って焼いてもらってたんだけど、それが尋常じゃないほど痛かった。まずベッドに寝かされる。そして、お医者さんが銀色の大きな容器を持ってくる。その中にはドライアイスのような白い煙がモクモクと出る液体が入っていて、それにでっかい綿棒みたいなんが浸ってる。そのでっかい綿棒でいぼを焼かれるんだけど、毎回大騒ぎだった。私がいぼを焼かれてる間、待合室で待っていた姉の話によると、ぎゃああぁあという私の悲鳴に待合室は毎回静まり返っていたらしい。
私の怪我人生はほんとにいろいろあった。
私は幼稚園の頃、飲食店で店員さんに熱いお味噌汁をぶっかけられて足に火傷を負いました。その時、タイツをはいてたからえぐい話、タイツが皮膚とくっついて結構ひどいものだったらしい。なんかその時のタイツが白かったことだけ覚えてる(笑)で、一応治ったけど小学校2年くらいのときに火傷跡に水いぼが発生し、至る所に転移した。ここから私の地獄の日々が始まった。このいぼの治療が「焼く」というものだった。毎週、エレクトーンの帰りに皮膚科に寄って焼いてもらってたんだけど、それが尋常じゃないほど痛かった。まずベッドに寝かされる。そして、お医者さんが銀色の大きな容器を持ってくる。その中にはドライアイスのような白い煙がモクモクと出る液体が入っていて、それにでっかい綿棒みたいなんが浸ってる。そのでっかい綿棒でいぼを焼かれるんだけど、毎回大騒ぎだった。私がいぼを焼かれてる間、待合室で待っていた姉の話によると、ぎゃああぁあという私の悲鳴に待合室は毎回静まり返っていたらしい。
私の怪我人生はほんとにいろいろあった。
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